◆あんな話こんな話◆ 来田淳

“白い真空”−喧嘩という作品−
たぶん中学二年の頃だった。
放課後、音楽室でトロンボーンを吹いていた時、運動場で喧嘩がはじまって砂埃があがった。
取り囲むように人だかりができている。
楽器を置いて僕も見に行った。
人だかりの中心では、背が高くて乱暴者で、なにかと因縁をつけては喧嘩をふっかけるHが、
小学校時代からよく同じクラスになったIに乗り被さって殴りまくっていた。
それを見た瞬間、周囲が露光オーバーになり、耳がツーンとして何も聞こえなくなった。
“白い真空”だ。
僕はそのまま後ろからHに馬乗りになり、「いい気になるな。このアホンダラ」という意味
の言葉を和歌山弁で浴びせ、思いッきりその首を締め上げた。
Hは、もがきながら地面に崩れたかと思うと、すぐさまこちらを振り返って反撃してきた。
僕は拳を握るゆとりもなく二発三発と顔面に喰らった。そのHの背中にIが飛び蹴りを加
え、二対一で無茶苦茶なバトルになった。
興奮状態に脳震盪も相俟って結末の記憶は定かでないが、先生が何人か飛んできて引き放
され、事情聴取となったように思う。

Iは小学校の時から家庭に解決困難な問題を抱え、周囲にもなじまず、授業中に先生の机
の陰に隠れたりしてどうしようもない奴だったが、Hのように暴力を愉しむタイプではな
く、どちらかというと楽器が好きだった。
Iとはそれまでさほど親しかったわけでもないが、その翌日から、毎朝僕の家へ立ち寄っ
てくれて、二人で仲良く登校するようになった。

僕はあの日の、あの“白い真空”を知ったときから、他人の喧嘩を買うことが一番の趣味
になった。
自分事での諍いは、勝っても負けてもなぜか後味が悪い。だけど他人の喧嘩は心地よい。
血を流すようなまねは大学時代でやめにしたが、五十を過ぎた今も、毎日楽しくゲーム感
覚で智恵の喧嘩を続けている。
相手方から弁護士や法務部がゾロゾロ出てきたときなどワクワクする。
ただ僕にはとても悪い癖があって、非を認めず権威を笠に着て偉そうにする人を見ると、
つい、おちょくってしまうのだ。
これの度が過ぎて相手を本気で怒らせてしまい、何度か逆に告訴された。あはは…

しかし味方だと思っていた人に、いきなり後ろから斬りつけられたこともある。
そういうときには心まで傷つく。でもそれは「不徳の致すところ」だから仕方がない。修
行が足りないのだ。そんなときは湯治場にでも行くにかぎる。
「男の傷痕は勲章だ」と、小さい頃から教えられた。
これからも喧嘩は僕にとって作品であり、また芸術でありたいと思う。

著作者人格権とは‥‥
小学六年のとき、図工の時間に鉛筆で緻密な風景画を描いていた。絵の具を使って描く
授業だったのだが、下絵に凝っているうちに、モノクロで全体を仕上げたくなってきた。
田んぼで耕耘機を操作する麦藁帽子の人物や、その周囲の草や建物をほぼ描き終えたと
き、後ろから担任がやってきて、とてもいい出来だとほめてくれた。
いい気になって油断をしたその直後、担任は何を思ったのか筆を持ってその上にキタナイ
絵の具で着色を始めた。
「うわー!あかん!うわー!」という叫びも空しく、僕の渾身の作は無惨な姿になって
いった。
僕は頭に来て授業をボイコットし、席でひとり腕を組み、終業のベルが鳴るまでぶつぶ
つ抗議し続けた。

中学当時僕は漫画家を夢見ていて、ストーリーもののほかに、一コマ風刺や四コマ漫画
をよく描いた。二年の頃に、報道委員といって、学校のタブロイド新聞を作る仕事を任
され、好きに描いた四コマ漫画をそれに載っけたりした。
三年になって後輩があとを引き継ぎ、彼から四コマ漫画を頼まれた。
一旦は引き受けたものの、満足いくものができなかったため、締め切り間際になってこ
とわった。(これは一方的に僕が悪い。今ならこんなひどいことは絶対にしない)
だけどその後、策に困った彼は、僕にひとことの相談もなく、前に掲載した僕の作品を
再度そのまま載せてしまった。
配布前にそのことを知り、なんてイージーなことをする奴だ、1,000人以上もいる
学校で、四コマ漫画のスペースを埋める記事ぐらい幾らでもあるだろう、もっと悩み苦
しんで仕事しろと怒った。
そして用務員室からノコギリを借りてきて、彼にも手伝わせ、束ねた新聞をL字型に
切ってしまった。
ノコをひきながら、彼は不安そうに「こんなことしてもええんかなあ…」と、つぶやい
ていた。
今考えてもそれしか方法がなかったのだが、学校新聞は変な形になってしまった。
漫画の裏面に載っていた記事を書いた人には、申し訳ないと思いながらも、事件を未然
に食い止めてほっとした僕は、教室に戻った。

授業を受けながら漫画を描いていると、担任が血相を変えて廊下を走ってきた。
「來田!ちょっとこい!」
怒られる理由は明らかだったので、この際確信犯として堂々と胸を張ってついていった。
校長室では頭髪のほとんど無くなった校長が、真っ赤な顔をして専用の立派な両袖椅子
に座りその端をしっかりと握りしめている。まるで頭の上に湯気が見えるようだ。
その傍らで、さっきの報道委員がうつむき加減で黙って立っている。
「非常識!」「自分勝手!」「無茶苦茶!」「学校のお金!」‥‥‥
こんな単語を言われたような気がする。校長先生は本当に怒っていた。
最後に、「悪いことしたと思ってんのか!?」と聞かれたので。「思ってない」と答えた。

この年の和歌山市立河北中学校の学校新聞は欠号となった。
「著作者人格権」という言葉を知ったのは、それから十年以上後のことだ。

汚穢の味
 
僕は、汚穢(おわい)の味を知っている。
中学の頃、家で真っ黒な犬を飼っていた。ほ乳瓶で育てた雑種の犬だ。名前は「クロ」
といった。今ならもう少しましな名前を付けていただろうけど、名前のことはこの際問
題ではない。クロの体はまるでビロードのような見事な体毛に覆われていて、艶やかに
光っていた。
毎日夕方になると首輪の鎖を解き、近所の住宅地を駆けめぐってハアハアいいながら帰
ってくるのが日課だった。が、たまに気が向いたときに僕がクロを連れて散歩に出かけ
た。

その日は気持ちのいい快晴の夕刻だった。
当時、田んぼや畑のそばにはいくつも肥だめがあった。僕らはそれを「タンゴツボ」と
呼んで恐れた。
というのも、タンゴツボは人糞を追加してしばらくは臭く、色も違って目立つのだが、
長期間更新せずに放置しているものは、表面が乾燥し、土の色と見分けがつきにくくな
り、周囲のブロックが草に隠れたり、その上臭いも治まって極めて危険なのだ。
(小学校のときには、草むらに隠れ、タンゴツボのそばを人が通りかかった時を見計ら
って、そこに石を投げ入れたりして遊んだ。考え事をしながらふと気付いたら乾燥した
タンゴツボの上を歩いていて寒気したこともある)
このタンゴツボのそばの畦道を通りかかったとき、クロは急に向きを変え、あっと思う
間もなくズブズブと頭からのめりこんでいった。
僕はあわてて綱を引いた。クロは一秒余りで生還したが、茶色と黒のツートンカラーに
なり、何が起こったのか理解できない様子で、汚穢にまみれた茶色の顔の中からまん丸
い目と赤い舌を出してハアハアいっている。
それを見た僕は、ガハハと笑い出してしまった。その瞬間クロが身震いをし、無数の茶
色いゲルとなった汚穢が辺り一面に飛び散った。僕は笑ったままで固まってしまった。
頭の先からつま先まで、そして口の中までまともに浴びてしまったのだ。
汚穢は「キツイ」味がした。
僕は三日間臭いがとれなかった。クロは一ヶ月かかった。

二回目は、十八歳の春だった。
父が昔、母と知り合った頃に過ごした田舎に、築後120年のとても眺めの良い茅葺き
の民家を、縁あって購入した。
もちろん便所はボットン式で、座位置から糞ツボまで、背の高さぐらいの距離があった。
使用するにあたり、「おつり」が来るから注意するようにと言われていた僕は、反撃を
すばやくかわすために、下を見ながらすることにした。
いくらなんでも落としてすぐにサッと後ろに身をひけば、かかることはないだろうと思
って、固い大型の糞を落下させた直後に後ろに引いたが、口を開けたまま下を確認しよ
うとした僕の口の中と額に、まるで狙ったようにおつりが当たった。
糞は水面(糞尿面)に一旦落ちるとその後方に空間ができ、空間の上部が閉じてすぐに、
中に残った空気が上昇し、どういう力学か分からないが加速度を増して真っ直ぐに、そ
れも現物を落下させた点よりも上方に「おつり」を返すのだ。
まさにクサヤのたれクラス、120年ものの汚穢は、少し甘みがあった。

大人になったある日、仕事で黒姫山のC.W.ニコルさんとお会いする機会があった。
ニコルさんから、近くのペンション「ふふはり亭」でその日行われる、彼が設計したサ
ウナのお披露目に幸運にも招待された。
サウナからあがって上機嫌の彼と、ウィスキーやビールを戴きながら話しているうち、
北極探検13回のこの偉大な探検家を前に、元龍大探検部員(僕が友達と作って、卒業
と同時に消滅。但し7年間存続)として、何か彼でも経験したことのない話題はないか
と考え、酒も相俟ってとうとう聞いてしまった。

「ニコルさん、ババ食ったことあります?」
「ババ?」
彼はそんな下品な日本語は知らなかった。
「ピートだよ、ピート」
と、ふふはり亭のご主人が小声で翻訳。
「ピ‥‥‥‥‥」
彼は急に言葉を失って、まるで異星人でも見るような目で僕を見つめた。
その表情がおかしくって僕は腹を抱えて笑ってしまった。で、やっと息がととのった頃
には、話題は次に移されていて、結局どういう状況でそうなったのか、説明しないまま
に終わってしまった。

ニコルさんは今でも、一部の日本人は糞尿を嗜食すると思っているかも知れない。
ごめんなさい。

  C.W.ニコルさん。飾らない人柄が大好きだ。左が「ふふはり亭」のご主人。


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